まとめ
ドラッカーといえばMBOが有名で参考にされている社会人の方も多いと思います。
しかしドラッカーの推奨していた目標管理は本来は放任主義的です。ナチスからの迫害への反発から生まれたことが一番の理由です。そのため主体性や自由を重んじ過ぎたことが仇となり、現実のマネジメントの現場では単なる放置プレイになってしまいがちです。
高い頻度の情報共有と雑談が信頼関係を育みます。信頼関係がないといくら主体性を信じようと効果を発揮できません。サポートと主体性のバランスを守りつつ、部下たちの目標管理ができるようにした方が業績が上がります。この絶妙なバランスをより詳しく学びたい場合は、お手軽MBA業績学がおすすめです。
ドラッカーの「MBO」は元々放置プレイマネジメントだった
ドラッカーと言えば、「MBOの生みの親」として有名です。MBOとはManagement by Objectives「目標による管理」という意味で、今では一般的にどこででも使われているマネジメント手法で馴染みのある人も多いかと思います。しかしこれには大きな欠点があり、目標を設定しただけのマネジメントを行うと害悪さえ起こることをご存知ですか?
MBOは画期的ですが、実際にやってみるとうまくいかない。ドラッカーの真似をしようといろんな人が試してもどうも効果を実感できない。ドラッカーは知らないけれどKPIやら何やらの目標を設定して管理しているつもりだが、全然うまくいかなくて、部下や自分の能力を疑ったり、イライラしちゃう。そんなことが続きます。
この記事を読んでいるあなたもその1人ではないですか? うまくいかない原因は非常に単純な理由があって、「ほとんど放任主義に近い」からでした。生産性を上げるためには社員の主体性とサポートに適切なバランスであることが重要なのです。この絶妙のバランスを学びたい人はお手軽MBA業績学がおすすめです。
目標による管理がなぜ放任主義になるのでしょうか?なぜドラッカーはそんな方法を編み出したのでしょうか。歴史から紐解いてみましょう。
全体主義の否定から始まったのはいいが・・・
ドラッカーはドイツ系ユダヤ人として生を受けます。非常に裕福な家庭で育ちましたが、彼が20代の頃にナチス党が徐々に権力を持つようになります。危機感を覚えた多くの裕福なユダヤ人はアメリカ、南米、パレスチナ、上海に移住します。
ユダヤ人ということもあってIQが高いので、多くの場合は移住先で大学の教授などをして生計を立てることができました。
集団主義であったナチスへの反発から、ユダヤ人のようなマイノリティの結束力を高めるという意味でもたまたま相性がよかったマルクス主義の思想を発展させ、ユダヤ人の思想とマルクス主義を組み合わせて出来上がったのが「フランクフルト学派」でした。
フランクフルト学派は自分の才能を思う存分に活用できる、自由で制約のない生き方や働きかたを目指そうと考えました。抑圧されることなく、自分で自分の人生を決められる、自分で自分の働き方や目標を決められる社会を目指す訳です。例を挙げると個人がLGBTQなどの多様性を認める社会を目指すわけです。
フランクフルト学派は予想外の発展を遂げる
多くのユダヤ人はフランクフルト学派の思想を亡命先であるアメリカに持ち込んだことで、これがのちにクルティカルレース理論と呼ばれる学問に発展します。
ドイツで経験した極右へのトラウマを克服するため、またアメリカに幸せな思想を広めようと持ち前の頭脳を活用して皆でフランクフルト学派の普及に尽力していました。ドラッカーの思想が自由で主体的なのは良いのですが、どのようにマネジメントに寄与して会社の売り上げや生産性が上がるのかまでははっきりとしていませんでした。
さらにこれが結果としてアメリカの政治的な二極化を加速させる要因の一つになってしまいます。
元々は全体主義の否定から生まれたはずが、ドラッカーの思惑とは正反対にフランクフルト学派までもが全体主義に使われてしまったことにきっと本人も生きていれば落胆したことでしょう。
話を戻しますが、ドラッカーの思想のどこに問題があったのでしょうか?自分らしく生きることは素晴らしいはずですが、これが仕事となるとなぜうまくいかなくなるのでしょうか?
いきなり主体性を要求しても社員は困惑するだけ
MBOは目標による管理ですが、これが作られた歴史的背景としては「自分らしく生きる、抑圧のない環境で自分の才能を活かす、自分で主体的に人生設計する」という思想から生まれてきた以上、上司が部下を管理するのではなく目標を与えてあとは部下たちの自由に任せる側面が強かったようです。
これは言い換えると、放任主義でもあると言えます。主体性を重んじることや権限を多く与えることも効果的に活用することで確かにストレスや不満を予防できます。しかし、サポートとのバランスあっての権限付与なのでサポートがなければいくら主体性を重んじても結果を出せません。
今となっては「サポートと主体性の両立」というのは当たり前の考えですが、当時は「ライン作業かインセンティブか」の二つだけだったので「主体性」という価値観は当時としては非常に画期的だっただけにどう扱えば良いのか十分に研究されていませんでした。
定期的な報告や共有は効果が高い
現在、数多くの実験と検証によって人材の管理に関して数多くの謎が解き明かされています。例えば、放任主義的な目標管理よりも、高頻度の進捗共有と雑談の方が効果が高いことが分かっています。
信頼関係があれば、どんなフィードバックも部下は聞き入れてくれますが、信頼関係がなければ褒めても叱っても無言を貫いても悪影響しかありません。
なぜドラッカーは主体性の効果を見誤ったのか?
ドラッカーが主体性を実際の効果以上に高く見積もった理由は他にもあります。この理由を説明するには、ヒットラーとドラッカーの性格や価値観の違いを比較すると分かりやすくなります。
ヒットラーは秩序と整理整頓を重んじていました。全てが順序よく並ばれている、きちっとしている、上下関係がはっきりとしている、衛生管理が行き届いている、感染症を予防できるほど潔癖であるなどです。この極端な潔癖さはのちに、ユダヤ人への排除思想へと発展します。
ドラッカーは生産性と効率を重んじていました。生産活動を通じて勤勉に資本を増やし、生活を豊かにし、計画的に勉学に勤しみ、才能を社会貢献に活かすという価値観です。この性格特性は、富と権力が集まりやすい気質として多くのユダヤ人のDNAに受け継がれています。
ヒットラーもドラッカーもどちらも「勤勉性」は高いのですが、その中身はまるで違います。一方は秩序を重んじ、片方は生産性を重んじています。秩序性が高いと生理的嫌悪感を感じやすいことが分かっていますが、ヒットラーはユダヤ人に対して強烈な生理的嫌悪感を感じていたであろうと推測できます。
決定的な違いはもう一つあります。
ヒットラーは芸術的な価値観がとても強く、アーティスト的な側面が強かったです。芸術肌の人はお金を稼ぐことに対して鈍感であったり、嫌悪感を感じる傾向にあることが分かっています。つまりヒットラーはお金稼ぎは悪である、という思想が非常に強かったと考えられます。
ドラッカーはIQの高さから問題の解決や問題の特定をするのが得意です。いろんな人の問題を解決して対価を得る訳ですから、感謝をされながらも富と権力が自然と集まります。また生産性の高さも手伝ってその相乗効果は高まります。
ヒットラーは「お金稼ぎは悪である」という価値観を生まれつき強く持っている訳ですから、ユダヤ人がお金を持っていることに対しても強烈な嫌悪感と排斥欲求を感じたであろうと推測できます。
ドラッカーは主体的に行動をして生産性を高めることを当然のようにやってのけることが当たり前だっただけに、他の人だってそれが出来ると信じたのではないでしょうか。しかし、実際の多くの従業員はドラッカーほどの頭脳を持っていないので、高い頻度の目標管理が必要だったと言えます。
嫌悪感の抑制とIQの脳科学
嫌悪感の感じやすさとIQはマイナスに相関することが分かっています。つまり、IQが高い人ほど嫌悪感を感じにくく、嫌悪感を感じやすい人ほどIQが相対的に低いということです。
はっきりとした原因は分かっていませんが、おそらく抑制機能と関わってくる前頭前野の機能と、本能や直感的な欲求に関わってくる旧脳のバランスが関わっていると考えられています。
つまり、前頭前野の機能が高ければ嫌悪感などの本能や直感的な衝動を管理できるということです。しかし前頭前野の機能が低いと衝動的な行動や直感的な行動を管理できないため不適切な言動が増えます。
ヒットラーの場合、嫌悪感の暴走から最終的にはユダヤ人を迫害した訳ですから構図としては次の通りです。
嫌悪感 VS IQ
秩序性 VS 生産性
皆さんは自らの感情に行動を支配されることなく、衝動的な行動を抑制できていますか?前頭前野の機能を最大限に活用しながら学べるお手軽MBAである業績学はおすすめです。
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